Astro Japonica

楽しい 占星術ノート

相性における土星 ③/3

前回・前々回のつづき


■相性において、
N土星はいずれでも発揮

・自分の土星を踏んでいる、土星のルールを侵している人とは相容れない。これはNで個人天体が土星とソフトであろうと、ハードであろうと、アスペクトが多くても、ノーアスペクトでも、いずれであってもそう。

・また(個人的にはここも重要だと思っているのだけど)、自分の土星を意識的に使えているか/いないかも、相手を許せる/許せないとは、あまり関係がない。自分が使えていてもいなくても、おしなべて「許せない」の方。

・許せる人は、自分が許せないことに自覚的な人である。これは占星術全般にいえることだけれど、自覚・認識すればその影響から離れられる。

ただこの「許せる」は、意識的でいれば一時的に「許せる」のであって、必ずしも「(接点の多い場で長期的に)耐えられる」とも言い切れない。

・同じサインの土星を持っているから必ずしも相性がいい、というものでもない。同じサインの土星でも意識的に使えている人といない人がいるからだ。

この場合、使えていない側が使えている側に惹かれることはあっても、使えている側が使えていない側に惹かれることはないように思う。

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土星側は、同じサインの
個人天体側に憧れる

・片方が例えば天秤座に土星を持っていて、相手の土星は別のサインだが、個人天体が天秤座にあり、その天秤座の分野を楽しんで達成・発揮しているとする。

その場合、土星側が個人天体側を尊敬・憧れる。ただこれは土星以遠の天体全てに言えるかもしれない。

「憧れる」といっても、土星の場合は気持ちの盛り上がりはない。実際以上に過度に持ち上げることもなく、冷静にその相手側の良さを評価している。

例)

A:土星 天秤座
 【不得意と思い、実は確かな批評性がある側】

 ↓ 惹かれる
   
B:個人天体 天秤座
 【得意であり、それを楽しんでいる側】

ここでいう個人天体に、月は含まれないことも。月は太陽星座を発揮してこそ、魅力になり得るので、太陽が発揮されている人に限る。月は見た目・雰囲気など「ぱっと見」までの部分で、実質とはちがうことも多い。

月について、以前の記事:

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土星のこわさ、とは

土星のこわさは、これらが即座には表面化しにくいことだ。おそらく土星を踏まれた相手が内心でドン引きしているからだろう。なので引かれた方は、なぜ引かれたのか、というより引かれていることすら、気付かないことになりやすい。

動きのある「実行部隊」である、水星・金星・火星辺りならOutputなので、いくらかは表現力・対応力があり、かわすことや切り返すこともしやすい。

が、土星は個人天体でなく社会天体であり、“個人”の実行部隊に影響を与える側であり、Outputとしては間接的なのだ。

個人天体のように、その場の反応として出てくるものではなく、むしろドン引きしたということは、ドアが閉じられた、ということ。何かの関係性を結ぶ必要もないので、「実行部隊」を使って伝える必要もない、となる。

土星は法・ルール・制限であり、不要なものを減らす/なくす天体なので、「要らない」と思ったものには、すぐさま扉を閉める門番であるから。

相手が「価値観」「許せないもの」について話す時、それはその相手と関係性を続けていくつもりなら、聞き逃せないとても大切な話であるように思う。

相性における土星 ②/3

前回のつづき

astrojaponica.hatenablog.com

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■例)N土星:乙女座

・自分個人の「分」をむやみに広げることに恥じらいを持つ。その「分」を守る方向で、現実的・具体的・細かなことに対して管理しようと責任感を持つので、結果的にそれらのことについて厳しくなる。

これは例えば、いくら個人天体が個性を大切にする天秤座、開放的で大らかな射手座、天然で不思議好きの魚座にあってもそう。

・N土星乙女座の人がいくら時間を守らなかったり、机の上が乱雑であったりしても、土星が効いてないわけではない。

例えば時間は守らなくても、それ以外でその人が「礼節」と思う範囲において厳しい。また個人のテリトリーを守ろうとする意識が強かったり、その他の場面で恥じらいが強かったり、というふうに出たりもする。

・また礼節を重んじる、個人の「分」を侵さないことが、この人にとって大人としての礼儀であり、そうできるように日頃から努力していることでもあるので、それを相手に対して発揮するということは、相手を尊重した・敬意を表したこの人にとっての愛情表現である場合も。

・つまりこの乙女座土星の人にとって、「分」の侵害をどこまでも許す=それだけ愛している、とはならない。それとは価値観がちがう、ということ。この人にとっては相手の「分」を侵害しないことが愛になる。相性における土星の難しさとは、つまりこういったことに気付けない、ということなのだと思う。

・上で見たように、他の天体でもいえることだけれど、象意を「例えば」の具体例のどれかだけでつかんでいると読み違う。それよりも抽象的・普遍的な層、つまりまずは大枠でつかんでおいた方が、却って予測しやすい。それらが具体的にどう出るかは、太陽や強い個人天体などとの組み合わせで捉えるといいと思う。

乙女座の土星

●具体例)

・時間を守る
・お金に厳しい、吝嗇
・いわゆる礼儀に厳しい
・いわゆる気遣いをする
・いわゆる腰が低い

●大枠)

・自他の「分」を守る
(どのように守るのかは太陽・個人天体との組み合わせで)

・礼節を重んじる
(この人にとって何が礼節なのかは太陽・個人天体との組み合わせで)

長いので、つづきはまた次回にします。

相性における土星 ①/3

以前、地方都市の占い師さんに占ってもらったことがあった。その際「長期的・継続的な関係の相性は、土星が大事」とおっしゃっていた。

その意味について、それから考えてみたのだけど、いくつか自分なりに分かったことがある。ので、なるべく箇条書きで書いてみたい。

土星そのものの意味も説明しないと、相性にどう影響するか分かりにくいため、最初にそれを書いている。

鑑定の現場では、結婚・相性について聞かれることが多い。個人的には相手の土星と質問者の個人天体がハードだと絶対ダメ、とも思っていないが、無視できない部分であるとは思う。

そういった相手と関係が続くかどうかは、

①その個人天体に絡んだ緩和するアスペクト(吉角)があること。多ければ多いほど良い。金星・木星なら、個人天体に対してハードでも良い。

②相手の土星による審査を受け入れられるか、それでも一緒にいたいか。

にかかってくると思う。

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注釈)
N=ネイタル=出生図

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■出生図においての土星

土星は若い頃は苦手意識であり、積極的・主体的に使うと得意分野になり得るもの。

・なぜ苦手に感じるかというと、その土星の表す分野に対して、責任を感じるからだ。なぜ責任を感じるかというと、その分野の良し悪しが理解でき、理想の形を具体的に想像できるからだ。だからこそ、その「責任」を自分自身で引き受ければ、得意分野になり得る。

・多くの人にとってはこの苦手意識だけを意識でき、その理由である「土星の分野に実はかなり的確な批評性を持っている」ということは意識できていない。

土星は大人になると「社会人として最低限のルール」と感じる部分。言い換えれば個人がどのように自分と世界の秩序を保ち、また明日からも「私」を続けられるよう、行き過ぎないよう自制している、という部分。

・この秩序・自制という「責任」を引き受けなくては、この世では何も形になることはない。

・相性において相手の「土星を踏む」とは、相手の秩序・責任感など、日頃からその人が生きるために真摯に考えていることをないがしろにする、ということである。その意味で対人における土星は、はじめは見えづらいが、時間を経るごとに相互理解に必要な天体であると思う。

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■出生図の土星
相性への出方

上のことを踏まえつつ、相性における土星の力は、個人のNにおいて、以下のいずれであっても発揮される。

・個人天体(がどこにあるか)
土星アスペクト
・個人がN土星を使えているかどうか

ただし、これらそれぞれの種類によって、価値観・出方が変化するため、具体的な発露の仕方が変わってくる。発揮されるが、具体的な出方はチャートによる、ということ。

また土星の強いチャートの持ち主(個人天体を中心に土星アスペクトが多い、土星が目立つ場所にある、土星の品位が高い、山羊・水瓶に天体が多いなど)の方が、土星的なことに意識的であり、その逆は無意識的。

なので例えば、土星=許せないこととすると、土星が強い(=意識的な)方がなぜその許せないかについて、理論立てて説明することができる。

次回、例をとって具体的に書いてみます。

度数域について(5度ずつ)②/2 各度数域

出生図の各個人天体・または全ての天体度数域を見てみて下さい。ちなみに個人天体の意味としては、ざっくりと

太陽:意識、目的、向かう先、総合的/大まかなキャラクター
月:無意識、個人的な情緒、雰囲気
水星:考え方、言葉、コミュニケーション
金星:センス、愛嬌、やさしさ、他者との間で起こる情緒
火星:行動、主張、パフォーマンス

です。これらの強弱・濃淡・適正・特性を知ると、行動しやすくなるのではと思いますが、いかがでしょう。

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■1-5度
純粋性

動機が、サインのテーマと直結していて、発言・発動に濁りがない。もっともらしい理由づけや、多数派への承認などを必要としない。その天体の働きが鮮烈。

スクエアなどあると佇まいの線が細い、もしくは儚げというふうに出る場合も。応用力や持久力はまだないので、初動に純粋な勢いがあっても、無理をすると折れてしまうことも。気は強いけど身体は弱い、みたいなイメージ。

この辺りに個人天体があると、なぜか肌がきれいだったり、華奢だったり。

■6-10度
実験的

反対意見を意識していて、そこからの回答を導き出し、体現することになる。もしくはアンチテーゼや疑うことから自身の考えが始まる。

仮説を実践し、やや観念的で少ない大項目で突き進むため、それによる軋轢はあっても、結果的にテーマに無駄なく集中しやすい。斬新な方法・突破口を見つけることも。

■11-15度
挑戦的

好戦的で、こわいもの知らず。未知のものにも、思い切りよく飛び込む。周りを引き込むような、若々しくダイナミックな勢いがある。その勢いで笑わせたり、空気を瞬時に変えたり、爆発力がある。ただ後のことは、特に何も考えていない場合も。

■16-20度
交錯

サインの反対の要素が入り込むといわれる度数域。挫折・ショックを受ける・傷つくなどの体験をしやすい。その課題に逃げずに向き合えば、他者への深い理解へつながる。乗り越えられたら、人の複雑さ・曖昧さを、手に取るように理解・同調できる。キャラクターの圧がなく、場に馴染みやすい。

■21-25度
盤石

厚み・弾力性のある強さ・安定感。何にでも対応でき、こだわりがない。例えば黙っていても喋っていても、どちらでいても平気など。相手・状況に合わせることがあまり苦痛でないので、逆に自分を通すことを遠慮しがち。遠慮さえしなければ余裕・余力ともにあり、気持ちが折れにくい。狙ったことを達成しやすい。

■26-30度
過渡

サインの要素に飽きていて、天体の衝動は枯れてきている。テーマに飽きているので、遂行することにあまりプレッシャーがない。何でもなさそうに、その天体の持つ過剰な能力を使える。次のサインへの移行期間であり、「今・ここ」より「次・このあと」を意識しやすいので、目的・未来について自問する。

この辺りに天体多いと老成していたり、気だるそうだったり。見た目にもそれが出る場合も。

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この5度ずつを交互で考えてみると、

A.
1-5度・11-15度・21-25度
原色、ビビット(濃)

B.
6-10度・16-20度・26-30度
中間色、パステル(淡)

原色(1-5)に異なる淡い色が混じり(6-10)、そのあとそれが濃い色になり(11-15)、また異なる淡い色が混じり深みが増し(16-20)、またその深みも合わせて濃くなり(21-25)、そして次のフェーズの色が混じり(26-30)・・・というイメージ。

なので単純に、A.はテーマに集中しやすいので、個性・打ち出すものが強く、勢い・パワーがあるので、インパクト・ショックを与えやすい。

B.は反対意見・相反する要素も、主題・主観と同じくらいの大きさで受け止めるので、結果的にとりとめなく、圧・毒っ気・パンチが弱めになり、場に馴染みやすい。

自分の個人天体及び世代天体の、どれがどちらにあるかで、適材適所で使い分けるといいように思う。

ちなみに個人的には、逆行天体のサビアンシンボルは、通常の数え度数(+1の度数、例:13.25→14度)ではなく、整数をそのままの度数(例:13.25→13度)とする方が当たっているように思う。

度数域について(5度ずつ)①/2 はじめに

前回まで「8室」について書いていたのだけど、書いていくうちにテーマとしてかなりヘヴィだな・・・と気付いて、なるべく誤解のないようにつづきを書くことが難しく思えてきた。

そのうち「8室」のつづきは書こうと思うけど、今日は最近考えていた、別の話題。度数域(5度ずつ)について。

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いろんな人を見ていて、同じサインであるよりも、同じ度数域である方が、より似ている、と思える場合がある。例えば天秤座の1度と27度よりも、天秤座の1度と牡羊座の1度の方が似ている、というように。

度数(域)とは、パワーの強さ・濃さの段階である。それは同じサインであるというテーマの共有よりも、同じ度数(域)であるというその段階の共有の方が、表出としては似ているように思う。

●サイン:テーマ、つまり
●度数(域):テーマをどのように実現・表現するか、力学、つまり種から上

アスペクトやミッドポイントのヒットも、どのサインであるかより、度数が何であるかの方が大事、と言えなくもない。

同じサイン・区分というだけではヒットしていなくても、ある度数をそのまま隣のサインに移動していくと、0度・30度・60度・90度・120度・150度・180度・150度・120度・・・というように、メジャーアスペクト全てと、その次の第二種アスペクトとヒットしていく。

そして例えば、金星と天王星が何かしらのアスペクトを取っている人同士は、それら天体間に何のアスペクトもない人よりも、出方の差はあれど、理解・共感しやすいからだ。

また前提として書いておきたいこととして、度数(域)は強弱・濃淡といっても、優劣の話ではない(他のどの記事も同じくそうなのだけど)。

例えば21-25度は「脂の乗った強い度数」と言われていて、おそらくそうなのだけど、本当に強いと余裕があるため、強さを主張する必要を感じなくなる。また何が来ても苦もなく対応できてしまうからこそ、結果的に周囲や状況に委ねたり明け渡したりすることも多いように思う。

このように、強い=ラッキーとは必ずしもいえず、どの度数域であっても適性・特性を知って自覚的に使える、という状態が1番いいように思う。これは度数域に限らず、占星術その他の占術のどの要素でもそうだと思う。

〇〇が××だから一生ダメ、ではなく、それをどのように活かすか考え、工夫するのが生きるということ、ひいては人生を謳歌することにつながると、少なくとも私は思っている。GHQを論破した升田幸三のいうように、チェス(駒を捨てる)ではなく、将棋(全ての駒を活かす)ということ。


あの人に会いたい 将棋棋士 升田幸三
今回のこの記事の最後で、度数域を色に例えているのだけれど、例えば着ていく服でも日によって、元気がある日はパキッと原色を、やさしい気持ちの日は淡い色がしっくりきたり、具合の悪い日は大人しく黒やグレーを着たくなったり、色々な日があるものだと思う。そんなふうに色々の度数域にある天体を、適材適所で使い分ければいいのだと思う。吉凶どちらか二極のみと捉えずに。

次回、各度数域について。