Astro Japonica

楽しい 占星術ノート

星から見る「洒脱」③/11 - 定義 2/3

子どもの頃見た雑誌に「似合っているのが1番おしゃれ」と大見出しで書いてあった。よくいわれることだし、おそらく多くの方が聞いたことあるだろうけど、今もって本当にその通りだと思う。けれど、お金を持っている人でも、人前に立つ機会の多い人でも、アパレル・服飾などそういった業界の人でも、意外と似合っていない服を着ている人は多い。似合うとは、特に無自覚的には、実はなかなか難しいことなのだと思う。

私的に「おしゃれ(似合っている)」とは、その人がその服を着ていて、その場の空気が良くなるもの、だと思う。その場がなごんだり、その時間が美しくなったり、見ていて気持ちが自由になったり。もちろん服だけでなく、そういう魔法の手段は他にもある。言葉、表情、プレゼント、気遣いなどなど、できうるコミュニケーション、メッセージの全てがそうで、着る服もその魔法の1つだということ。

で、服は「似合っている」ということで魔法が生まれる。言葉もそうで、その人がいうからこそ面白かったり、説得力があったりする。会話の流れの中で意外性がありつつ、普段のその人より、もう少し深いところが見えるからこそ、その言葉が印象深くなる。で、ある服が似合うという時も必ずしも、普段の本人のイメージとイコール、もしくは本人のセルフイメージとイコール、ではない。こわそうな人が、ただただこわそうな服を着ていても、楽しい空気にはならない。特に何か考えもなく「何となくこう見られたい」に合わせて服を着るのは、普通だし無難。無難はおしゃれではない。

表面的にいうと、人と服とのかけ合わせの妙で、粋に見える・シャレが利いてるということ。より内面的にいうと、普段の無意識・条件反射的にとりつくろう部分ではなく、もっと本人の本質的なところにある、世の中からはみ出している部分、人によってはある種認めたくない部分をスタイリッシュに表現すること、それが「おしゃれ」なのでは。(無意識的な)無頓着・無自覚ではなく、(意識的に)絶妙であるということ。何しろ魔法の1つなのだから、狙わないと当たらない。なので「似合う」とは、単にまあ馴染んでなくもない・無難とかではなく、その服の良さ・奥深さが、着ている人によって引き出されること。そう考えると、服を着ることとは、生き様を表現することなのだと思う。

次は具体的な「おしゃれな人」像について。