Astro Japonica

楽しい 占星術ノート

2022年10月25日 19:49 新月

始まり
ASC 双子座25度「パームを剪定する男
→水星 天秤座23度「おんどり 
1室火星 双子座26度「森の冬霜

テーマ
太陽/月+金星 蠍座3度「上棟式
冥王星 山羊座27度「山の巡礼
 →火星 双子座26度「森の冬霜

結果
MC 魚座4度「狭い地峡での交通渋滞
海王星 魚座24度「有人島
 →木星 牡羊座1度「女性が水から上がると、アザラシも上がってきて、彼女を抱きしめる

サビアンシンボルの度数
・順行:数え度数
・逆行:そのまま

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始まり
ASC 双子座25度「パームを剪定する男
→水星 天秤座23度「おんどり 
1室火星 双子座26度「森の冬霜

ASCには火星が重なり、ASCルーラーである天秤座の水星・水瓶座土星と風のグランドトライン。1室・5室・9室で形成され、風の表すコミュニケーション・知的活動全般を、純粋に自分自身(の主張・楽しみ・成長)のために発揮・駆使する。21-25度という強い度数域辺りなので、色々なことをひっくるめて凝縮された強い言葉が、目的を持って打ち出される(火星・水星・土星の組み合わせ)。

ASCの双子座25度は、自然の伸びやかさとそれを整理する度数で、「経過を見守ったあとの軌道修正」から今月(この新月から約1ヶ月)は始まる。先月に何か生き方/考え方が変わるような、長いもやが晴れたような発見があったかもしれない。そこから枝葉を伸ばし、刈り入れもする。

1室火星のある双子座26度は、極限まで虚飾を削ぎ落す度数。水星の天秤座23度は、気運・時流に乗るという度数。極限まで少なくした荷物だけを持って、「その時」に飛び乗る。人との交流が活発になり、饒舌になれる時だからこそ、自分にとってこれまでもこれからも、特別であり続けるものをはっきりさせてから出掛ける、ようなイメージ。

テーマ
太陽/月+金星 蠍座3度「上棟式
冥王星 山羊座27度「山の巡礼
 →火星 双子座26度「森の冬霜

今回の新月の特徴は、新月の太陽・月に金星がジャストで0度であるというところ。そして、天秤座の水星とこれら3つの天体が5室にある。

蠍座3度は、共同作業を表す度数。その過程で「共同」に使えるものは使い、使えないものは捨てて、個人から共同へと建て直す。5室は創作・娯楽・恋愛を表し、金星も恋愛・楽しみ・感性などを表すので、この新月の表すテーマ自体は楽しい。けれど、向かう方向を示す支配星・副支配星は、ストイックな場所にある。山羊座27度は長く険しい道へと極みを目指し、双子座26度は上にも書いた通り極限まで本質以外を削ぎ落す。楽しく共同的なことをしていたら、いつの間にかたくさんのものを捨てて、ずっと遠くに来ていた、というような流れ。

蠍座なので、人との関係の再開・復縁なども表す。支配星の山羊座冥王星は8室にあり、副支配星の双子座火星は1室。風のグランドトラインでもあるし、軽いノリで言った一蓮托生っしょ、が本当に始まってしまう感じ。「共同」は一人では体験できない特別な楽しさがあるけれど、個が同じままではいられないので、飛び込む前に躊躇もある。けれど、今はそこへかなり飛び込みやすい時。そしてそれは共同・誰かのためという体験を通して、自分の運命をくぐり抜けることでもある。

結果
MC 魚座4度「狭い地峡での交通渋滞
海王星 魚座24度「有人島
 →木星 牡羊座1度「女性が水から上がると、アザラシも上がってきて、彼女を抱きしめる

MCは魚座4度で、価値あるものを辺境の地にまで流通させようとする、布教精神の意味もある。また、絶景の地が観光地となり、やがて諸々の交通網が敷かれるというように、無意識/本能など自然発生的なものの中へ、思考が分け入り張り巡らされていく「複雑化」が描かれている。

これまで無意識/感覚のまま手つかずにしていたところを、言葉など何か伝達手段を介して、他者の前に置く。これは10室であり、支配星・副支配星ともに同じく10室にあるので、それはいきなり「公表」「表明」「決定」の形をとるかもしれない。

またそのメッセージは、色々な経緯をたどって合わさった、複雑なもの。理想主義的(魚座23度)で、極端に純度が高い(牡羊座1度)ので、一目で分かりやすい・とっつきやすいものではない。むしろ、メッセージが放たれたあとから、その意味が生成されていくようなもの。

つまり、今月の結果の位置は、何かが完成するというより、始まりに立つということ。これからどうなるか全く見えていなくても、というか見えていないからこそ、1番面白いことが始まるのかもしれない。ASCの双子座に火星、MCの牡羊座木星があり、初めてのこと・挑戦することにこそ、身体が動き、楽しい。

新月のテーマである、何らかの組織・共同への参加により、これまでの個人的に良くない習慣などを断ち切れそうにも思う。準備が整ってから参加、ではなく参加することでこそ整うのだ。