Astro Japonica

楽しい 占星術ノート

自宅の大橋ピアノ、調律師さんのこと

前回の記事を書いていて思い出した話があって、ついでに書いてみようと思う。さらにマニアックかもしれないけど。。

前の記事でも書いた通り、

スピーカーをyoutubeで試聴して買ったのだけど、以前ピアノもそれで買ったことがある。youtubeで分かるの?と思うかもしれないけれど、だいたいの当たりはつけられる。私自身それなりにいろんな場所で音楽を聴く・演奏することがあったので、何となく想像できる、というのはあるのかもしれない。もちろん、スピーカーならそれぞれつないでる機器・部屋など環境も様々なので、実際に聴いた印象とまた変わるのだけど、ざっくりと大まかには捉えられるように思う。

アップライトピアノを購入した時も、youtubeで色々聞いて、いくつか候補をしぼった。この世の真理として「買い物は買うまでが楽しい」ので、その楽しい時間を引き延ばすため、ピアノメーカーについても調べた。日本のピアノメーカー黎明期の頃に活躍された調律師さんの書籍、ピアノメーカーの歴史が書かれた本など読んだ。実際のお店に行ったのは4つぐらいだったように思う。

買ったピアノは、大橋ピアノの3,000番台。日本のピアノ技術の礎を築いたともいわれる、名工大橋幡岩氏が独立し、1958年に自身の名を冠して立ち上げたブランド。1995年に氏とご子息の死去により廃業したけれど、根強い人気というか、人気がさらに上がってきているようで、年々価格が上がり続けている。

1896年に僧侶の息子として生まれ、13歳でヤマハ(当時は日本楽器製造)に弟子入り。1926年の労働紛争で師匠の山葉直吉らとともに日本楽器製造を退職、1927年に山葉ピアノ研究所を設立。そのあと小野ピアノでも設計・製作。1948年に「DIAPAON(ディアパソン)」ピアノを完成させるも、質の高い部品・製造過程にこだわり倒産、カワイに合併。こちらは今も新品のピアノが販売されている。若い頃にすでに英語・ドイツ語を習得し、ピアノの設計図からその音を想像できたらしい。そういったカリスマ的な方で、それも人気の一因なのかもしれない。大橋ピアノ研究所による唯一の書籍も高くなっていて、現在5万もするよう。

私が思う大橋ピアノの特徴は、鳴りが良いのに繊細で内省的なこと。日本のピアノが多くある場所で試弾したけれど、他とは明らかに違う、地響きのような深い響きと、内面へと潜っていくような音色をしていた。例えば、ヤマハはよく華やかな高音が特徴といわれている。また同じく大橋氏設計のディアパソンでは、純粋な中立音を目指したそうで、楽器の木材の部分が素直に響いているような素朴な音色がする。大橋ピアノは、より色気と気品があって、どこか薄曇りの朝明けのイメージ、変ホ長調など似合う感じ。

内部の部品には徹底してこだわり抜いていたようだけど、外装はヤマハ・カワイから塗装に失敗した板をもらってきていた、という話も。笑 質実剛健そのものというか。一般的なピアノだと、一面に黒一色の鏡面仕上げなのだけれど、大橋ピアノは暗い鏡面の向こうに木目が透けて見え、木の色とうっすら深緑が混じったような“苔色”のピアノなのだ(とはいえ他の色、赤やマホガニーなども時々あり、保存状態にもよる)。でもこれも何ともいえない味があっていい。

浜松の町工場で製作されていたようで、その大橋ピアノ最後の日々のドキュメンタリーがある。この頃の時代の人は、佇まいだけで何だか泣ける感じ。



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こないだ、久しぶりにピアノの調律をお願いしたのだけれど、今まで見ていただいた調律師さんの中で1番良かった。ご高齢の方だったが、気さくで、お金もあまりとられないのに、ピアノの音が見違えるほど良くなった。千葉市在住だが、都内・関東近郊は出張してくださるようです、おすすめ。ウチダピアノ調律所

何とこの調律師の方、先の『ピアノ知識アラカルト』著者である杵淵直知氏に師事されていたらしい。それと調律の研修として、大橋ピアノにて2,000番台(この製造番号表を見ると、1966年頃から10年ほど、ちょうど昭和40年代)の頃に、ピアノ製造の職人として働いていたとのこと。

ちなみに杵淵直知氏は、日本人で初めてドイツのピアノマイスターを取得し、1970年代頃に来日したリヒテルミケランジェリルービンシュタインの調律もされた方。幡岩氏からピアノ製造を師事され、『ピアノ知識アラカルト』によると、大橋氏ご自身の名前をブランドにしたのも、杵淵氏の助言によるものらしい。

来ていただいた調律師さんによると、先月調律された家は、大橋ピアノを海外輸入ピアノ並の値段(200万とか)で買われたらしく、さすがに高すぎるのではとのことだった。また、大橋ピアノやディアパソンには、金属フレームに鷲のエンブレムが入っているのだけれど、何とご自身含め当時のピアノ職人の方々が、これを1つ1つ彫っていたらしい。てっきり外注か何かかと思っていたが、昭和40年代頃までは見習いの方が彫っていたとのこと。ピアノの勉強のため研修で来ていたのに、1日中それだったのでいやになりました、とおっしゃっていた。こういう話、最近の新しい話より、よっぽど面白いなーと思ってしまった。