Astro Japonica

楽しい 占星術ノート

オズじゃない魔法使い

シュタイナーの本を続けて読んでいる。瞑想にも色々種類があるのだけれど、その中の1つの終わりに「次いで、外からの印象にも、思い出すことにも、妨げられずに、落ち着いた心で、そのままの状態にとどまっている。ふさわしい時が来たら、受けとるべき啓示が魂に現れる」とある。そうして、ある日ふいに浮かんできたのが、子どもの頃に見たアニメ「オズの魔法使い」の一場面だった。

特別に思い入れがあったわけでもなく、そのアニメのこと自体、何十年かぶりに思い出した。でも思い起こしてみれば確かに、物語の中で象徴的なこと・ものが多い。竜巻に飛ばされる家、たくさんのエメラルド、色めがね、がらんとしたお城、脳みそのないかかし、ハートのないブリキの木こり、勇気のないライオンなどなど。

調べてみると、作者のライマン・フランク・ボームは、なんと夫婦そろってアメリカの神智学協会(一時シュタイナーも要請を受けて所属していた神秘思想団体。ニューエイジなど現在のスピリチュアル・オカルティズムの起源とも)会員だったらしい。『オズ』の物語にもそのメッセージを込めたらしく、そんな話だったっけ?と思い改めて読んでみた。

全編を通して、脳みそのないかかしは賢いし、ハートのないブリキの木こりはやさしいし、勇気がないというライオンは強くて頼りがいがある。「ない、ない」と思うものを実は最初から持っている。そもそも本当になかったら、それがあるかないかなんて気にならない。「ない」のはそれそのものより、それと外の世界をつなぐ通路なのかもしれない。「ない」と思うから、自分でその通路をふさいでいる。

瞑想も一面では、自分自身の中に「在る」ことをつかむ訓練でもある。種はすでにある。例え今は、その花が開いていなくても。それにまず気付くこと、そしてそれを育てていくこと。「あれもない、これもない」の否定に振り回され続けるのをやめること。

主人公のドロシーも、家が吹き飛ばされてオズの国に着いた時すでに、実は故郷に帰る手段を持っていた。けれど、もしすぐそれに気付いて、そのまま帰っていたら、大切な友だち(かかし・ブリキの木こり・ライオン)に出会って、彼らのために尽くすことも、また逆に助けてもらうことも、つまり友だちになることもなかった。ドロシー自身、未知の世界を冒険することもなかった。

そして、どこか遠いお城にいる、何でもできる人だと思っていた、オズの魔法使いはそうではなかった。単にそう見せることがとても上手い人だった。その「魔法」があっけなく解けたあと、そのオズの魔法使いは元いたところへ行ってしまう。そして、そのあとにドロシーたちは、すでにほしいものを持っていたことに気付き、それぞれの願いを叶えていく。物語は、魔法とは誰かがかけてくれるものではなく、自分で自分にかけるものだと伝えている。

かかし・ブリキの木こり・ライオンともども優しく、その「ない」と思われるものを手に入れて、誰かのためになりたい、もしくはこの世界をより良くもっと感じたいと思っている。ドロシーも故郷を恋しく思い、また家族のおばさんを心配させたくないと思う。そして、自分以外の仲間の「ない」さびしさに共感して、協力し合う。そういう優しさや愛情が魔法を育てていく。

その「ない」時期に「ある」ようになるまで、手伝ってくれた人は特別な存在になる。それは答えや何かを提供してくれたからではなく、一緒に考えたり付き合ったりしたことが特別なのだ。例えばただ答えだけ与えられたとしても、それが答えだと気付かないことも多いのだから。そして、何より自分自身を信じることで、魔法が使えるようになる。

そう見ていくと、『オズの魔法使い』には、確かに神智学の思想が生きているように思える。神智学に興味のある人は、まずこの『オズの魔法使い』を読んでみるのもいいのかもしれない。



黒人版「オズの魔法使い」であるミュージカル映画『ザ・ウィズ』(1978)。19才のマイケル・ジャクソンがかかし役で出ていて、さすがの芸達者。主人公ドロシーをダイアナ・ロスが演じていて、バックダンサー含めた誰よりも華奢で可憐なのに、火が燃えているかのような存在感。さすが冥王星獅子座時代の牡羊座。衣装やセットも、ブラックカルチャー的な色彩鮮やかに、すごく凝っていて楽しい映画🌞

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信じるのよ 
初めから 知恵も 心も 勇気も
死ぬまで あなたのもの

信じるのよ あなた自身を
あなた自身を信じるの
自分を信じるの
私があなたを信じているように

初めから 信じなさい
あなたの心の中の魔法を
さあ 自分で信じるの

("Home" ー映画『ザ・ウィズ』より)