20210711追記
瑛人さんがつい先日更新されたYouTubeで「風の時代」とおっしゃってました。偶然ですがうれしい😆 風の時代ということで、これから全国を掃除と歌で旅するそうです。間近で聴けたら泣いてしまいそう。。
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以前「香水の歌詞は何を言いたいのか分からない」という意見を見かけて、個人的にはちょっと意外に思った。この歌は一語一句全部「言いたいこと」でできた歌だと思うから。そして、これこそが(瑛人さんの太陽星座でもある)双子座の素晴らしさであるとも思う。まあ、今や日本の人口以上に再生されている歌なので、受け取り方は無数にあるのだろう。
双子座の素晴らしさは、迷いながらも踏みしめた一足一足を、その度ごとに的確に言語化できる、その一言一言の精度の高さにある。あらかじめ決められた、何か分かりやすい目的や教訓に向かって、物語が構築されるのではない。ちぐはぐな、けれど実際に起こった一瞬一瞬を丹念に拾い集めた先にこそ、立ち上がってくる物語。ごく個人的で鋭敏な筆致によって、見たものが的確に言葉に落とし込まれる。双子座はとても賢いけれど、自身が「知る」ことなしに分かった気にはならない。双子座にとって「知る」とは、自分の足で赴くこと、自分の目で見ること、自分の手で触れること、そしてそれを自分の言葉にすること。
友人たちも含めて双子座の人たちは、誰よりも繊細で傷つきやすいのに、面倒ごと・厄介ごとに頭から突っ込んで行って、それでちゃんとしっかり傷ついて帰ってくる、というところがある。そのことが前から不思議だったのだけれど、自分なりに考えて気付いたことがある。単に「傷ついた」「失った」ことだけに目を向けると、それはただ「損をした」だけの話になる。けれど、そこで体験しなければ出会うことのなかった多くのかけがえのなさが「損」なんかより遥かに超えてしてしまうことを、双子座の人はきっと本能的によく分かっている。だから例え大変な目に遭っても、その冴えた言葉でありありと思い出しては、それを「楽しかった」と慈しむように言えるのだろう。そして、その目で見た固有名詞の一つ一つが、帰ってから語られる物語の大切な要素になる。例えその固有名詞を知らない・見たことがない人が相手でも、ならば他の言葉によって語り切ろうとする気概があり、実際にそれを語ることができてしまう。双子座のパンフォーカスの視点は多分そんなふうに成り立っているのだろう。その視界は「目撃」と「伝えようとする意志」で、きっとカリッカリの解像度で広がっている。
そう考えると、損得の得や勝敗の勝だけが求められる世の中で、双子座が自由でいられるのは、自分固有の物語を持っているからなのかもしれない。損得や勝敗がまとわりついて辟易する時、双子座の視界で世界を見せてもらえるとほっとする。
9:40~
「黄色いグローブだけでいいじゃんって言われたこともあるんです。特定しちゃうと(聞いている人たちに)当てはまりにくいから。でも僕が守っているのは、だって本当に上原さんモデルだもん、みたいなこと。ちゃんと自分のことを述べないとダメかなっていつも思っています」
(「ハッピーになれよ」という歌の中の、”黄色い上原モデルのグローブとヘルメを持って” という歌詞について)
「香水」の歌詞を読んで思い出したのは、その前の年に観た展覧会、ソフィ・カル「限局性激痛」のこと。ソフィ・カルはパリ出身、主に写真と文で構成された作品を制作している現代アーティスト。「限局性激痛」は少女の頃から20年片思いしていた男性とついに結ばれ、けれど彼の愛が本当か知りたいため「1番行きたくない国」日本への留学を決めて旅立ち、強く後悔しながら過ごしたあと、心待ちにしていた再会の日に振られてしまった体験が基になっている。それからソフィ・カルは何年も泣いてばかりいたという。
つらい体験が15年の時を経て作品になり、その日本の原美術館で展示となった。さらにその20年後、取り壊しの決まった原美術館で再びの開催となり、私はそれを観に行った。双子座の友人に誘われて。
日本に着いて寂しさと不安の余り徘徊したり、異国からの旅行者と寝たり、占い師に見てもらったり、言葉の通じない地で盲人と話をしに行ったり。一見第三者からは「何がしたいの?(何が言いたいの?)」と思われそうな迷走の日々かもしれない。けれど、押しつぶされそうな不安の中で、その高い集中力で紡がれた美しい文章から、本人にとっては常に切実な足取りであることが痛いほど伝わってくる。それはずっと、どうしようもなく真実を求めている足取りなのだ。どこにいても、自分にとって本当の瞬間を追い求めている。
リンク先のインタビューの中で、
──SNSを通じて、親密な写真や、ナルシシズムの写真、盗撮の写真などが社会に溢れるようになりました。こうした種類の写真は、あなたの作品の中でしばしば扱われてきたものです。こうした現象は、あなたの作品制作に影響を与えますか。
私はSNSを全然見ていません。ネットもメールくらいです。拒絶しているわけではないのですが、それほど惹かれないんですね。雑誌や新聞を読んだり、人と会ったりするほうが魅力的。SNSはセクシーさが足りないのです。
SNSやweb広告などはぱっと見のインパクト勝負だからか、(時に下品なほど)エロを強調したものも多いが、カルにとってはそれは「セクシーさが足りない」。「セクシーさ」、それはつまり、その人「固有の物語性」なのかもしれない。 愛した誰かの、その人だけの体温、匂い、息づかい、その場の空気、過ごした時間、それらが折り重なってできた物語。それはおそらく人を本当に愛したことのある人が描ける質感。出来合いのものにはそれが足りない・ない、だから愛を込めて作品を作る。
ソフィ・カルは双子座ではないが、天秤座に太陽・土星・海王星があり、これらが双子座の木星と120度。瑛人は双子座に太陽・金星、水瓶座に木星。
「風の時代」とは、その人固有の物語が語られる時なのかもしれない。水瓶座に木星・土星があるので、今までの社会からはじき出された個人の言葉・物語によって新しい社会のルールが定まっていく。2023年の3月に冥王星が水瓶座に入る時、国・時代・境遇を超えて個人特有の言葉・物語が理解され、それ自体が大きな力を持ち、そこから大きな変革が起こるのかもしれない。
他にも書き足りないことはまだまだあるけれど、すでに長いのでひとまずこの辺で。この二人の「作品」や「言葉」に触れて、溢れかえる風の成分をまずは感じてみてほしい。彼らにとっては対話それ自体、相手から言葉を引き出すこと、そのことで気付きを得ることが、すでに刺激的で創造的な行為みたいだ。そう気付かされると、大切な誰かに会いに行って、大切な本音の話をしてみたくなる。自分に言える一番いい言葉で。
──あなたは作品のなかで、民俗学者のように数多くのインタビューをしてきたと思います。インタビューされることと、インタビューすることではどちらが好きですか。
インタビューすることですね。私が誰かをインタビューするのはなんらかのプロジェクトのためですから。そしてそのプロジェクトは私をどこかに連れて行ってくれます。何かをつくり出そうとしているときにこそインタビューするのです。インタビューはクリエイティブな行為でしょ?