Astro Japonica

楽しい 占星術ノート

個人天体 / 海王星・冥王星 - 120度・180度の違い 5/6【本題2】

【はじめに】【本題1】を踏まえた上で、さらに海120度+冥180度と海180度+冥120度を比較してみる。

(1つの単語を象徴的な意味で使い、比喩としてや例えとしても使うので、分かりづらくなるかもしれないので、まず一応の補足。例えば❝死❞は、実際に人の肉体が死んでしまうことだけではなく、自分の中の内的な一部が破壊/死んでしまい再生すること、もう何かが元には戻れないことなども含めて使っている。他の言葉もそのような使い方をしている)

海120度+冥180度は、死はいつも個が溶けた後にやって来る。対象の中に自身の個は溶けて、そのあと自分と対象とに同時に死がやってくる。もしくはその関係性自体が強制的に終わってしまう。何かに共鳴しその中にまるごと自分を投げ出しても、最後に何かしらの❝死❞が、全てを持ち去ってしまうことを予感している。

海180度+冥120度は、死や破壊を経た上で、一体となろうとする。何かが死んで変容/再生したあとにこそ、個が溶けて一つになれると予感している。

海120度+冥180度にとって、私の個が溶け去ってしまうことは、怖くない。むしろそのことに幸せを感じる。そのことに安らぎを感じ(120度)、それが当たり前なので、他の人もそうだと思っている節があるかもしれない。それに比べると、破壊/死に対しては緊張感/義務感があり、背負わねばならない/いつか受け入れなくてはならないものとして捉えている。

海180度+冥120度にとって、破壊や死/変容は、こわくない。むしろそうすることで、生きている実感を得る。そうすることで気分が落ち着き(120度)、それが当たり前なので、他の人もそうだと思っている節があるかもしれない。それに比べると、没我的/虚無的となることは緊張感/恐怖感があり、いつかそうしなくてはならない/いつか受け入れなくてはならないものと捉えている、のかもしれない。

海120度+冥180度は、個が溶けて/いなくなって、うれしい/幸せ(海王星120度)だからこそ、この状態はずっと続かない、いつか終わりが来ると捉えている。

海180度+冥120度は、自分の一部が死ぬことも厭わず怖いもの知らずでいられる(冥王星120度)からこそ、この状態はいつか死ぬことも再生することもできない無化/虚無に帰す時が来ると捉えている。

つまりソフトの部分は、自分を許しやすく、解放しやすい場所。自分にokを出しやすい部分。ハードはその分の引け目のためか、自分でネガティブな意味で捉えやすく、そういう表出をしやすいのかもしれない。

そう考えると、ハードの部分を鍛える/使ってトライ&エラーを繰り返す、というのも大切だけど、ソフトを引け目に感じないというのもすごく大切なことの気がする。ソフトをちゃんと自分の中で受け取め、悪用する訳でもなければ、さらっと使ってしまえばいいのだと思う。