前回まで「8室」について書いていたのだけど、書いていくうちにテーマとしてかなりヘヴィだな・・・と気付いて、なるべく誤解のないようにつづきを書くことが難しく思えてきた。
そのうち「8室」のつづきは書こうと思うけど、今日は最近考えていた、別の話題。度数域(5度ずつ)について。
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いろんな人を見ていて、同じサインであるよりも、同じ度数域である方が、より似ている、と思える場合がある。例えば天秤座の1度と27度よりも、天秤座の1度と牡羊座の1度の方が似ている、というように。
度数(域)とは、パワーの強さ・濃さの段階である。それは同じサインであるというテーマの共有よりも、同じ度数(域)であるというその段階の共有の方が、表出としては似ているように思う。
●サイン:テーマ、つまり種
●度数(域):テーマをどのように実現・表現するか、力学、つまり種から上
アスペクトやミッドポイントのヒットも、どのサインであるかより、度数が何であるかの方が大事、と言えなくもない。
同じサイン・区分というだけではヒットしていなくても、ある度数をそのまま隣のサインに移動していくと、0度・30度・60度・90度・120度・150度・180度・150度・120度・・・というように、メジャーアスペクト全てと、その次の第二種アスペクトとヒットしていく。
そして例えば、金星と天王星が何かしらのアスペクトを取っている人同士は、それら天体間に何のアスペクトもない人よりも、出方の差はあれど、理解・共感しやすいからだ。
また前提として書いておきたいこととして、度数(域)は強弱・濃淡といっても、優劣の話ではない(他のどの記事も同じくそうなのだけど)。
例えば21-25度は「脂の乗った強い度数」と言われていて、おそらくそうなのだけど、本当に強いと余裕があるため、強さを主張する必要を感じなくなる。また何が来ても苦もなく対応できてしまうからこそ、結果的に周囲や状況に委ねたり明け渡したりすることも多いように思う。
このように、強い=ラッキーとは必ずしもいえず、どの度数域であっても適性・特性を知って自覚的に使える、という状態が1番いいように思う。これは度数域に限らず、占星術その他の占術のどの要素でもそうだと思う。
〇〇が××だから一生ダメ、ではなく、それをどのように活かすか考え、工夫するのが生きるということ、ひいては人生を謳歌することにつながると、少なくとも私は思っている。GHQを論破した升田幸三のいうように、チェス(駒を捨てる)ではなく、将棋(全ての駒を活かす)ということ。
あの人に会いたい 将棋棋士 升田幸三
今回のこの記事の最後で、度数域を色に例えているのだけれど、例えば着ていく服でも日によって、元気がある日はパキッと原色を、やさしい気持ちの日は淡い色がしっくりきたり、具合の悪い日は大人しく黒やグレーを着たくなったり、色々な日があるものだと思う。そんなふうに色々の度数域にある天体を、適材適所で使い分ければいいのだと思う。吉凶どちらか二極のみと捉えずに。
次回、各度数域について。