結論としては、名前に使われている漢字の意味・由来を調べると面白いですよ、ということ。今回、例として私の名前の話が長くなるので、結論から先に。
ふと、UA氏と 菊池成孔氏のラジオを見ていたところ、「原動力は?」との質問に菊地氏が「呪いと体力」と答えていた。「成孔」という名前で、孔は「突き抜けた穴」の意味があり、咆孔、通気孔などで使われる。菊地氏はサックス奏者、管楽器は穴ぼこだらけで息によって鳴らす楽器であり、中でもサックスは吠える(咆孔)ような音量。UA氏も本名が「歌織」で歌を織るという名前なので、ある種その呪い感じるそう。へーほーと思った。
私のバンド(汀の火)メンバー、現代音楽作曲家の今井さんは、私よりずっと声が良く歌も上手いのにご自身では歌わず、作曲とピアノ伴奏に徹する不思議な方なのだけど、美人で愛鳥家でもある。以前は文鳥を飼っていたり、その前には雀に餌付けをしたりしていた。泊めていただいた時、雀の大軍でも食べ切れない量をベランダに撒いていらして、内心ちょっとした衝撃を受けたりした。曰く「円雅さんの”雅”は名前に鳥が入っていて羨ましい」と。今井さんの下の名前は何を隠そう「飛鳥」さんである。ダイレクトに鳥が入っていて、しかも羽ばたいている。でも「雅」という字は、さりげなく鳥が入っているのがいいらしい。私がこの名前じゃなかったら、バンドメンバーになってもらえなかったかもしれない。
何年か前にそう聞いた時は「雅」が鳥…🐦?と正直よく分かっていなかった。先のラジオでその話を思い出して調べてみた。私は芸名(雅号(╹◡╹))が円雅で、「雅」は本名にもある。「か」の漢字を1年ぐらい悩んでいたのだけれど、作家の木地雅映子氏を見て「か」とも読めることを知り、巡り巡って本名に戻って来た。そういえば、それもどことなく因縁を感じる。
漢字の部首は向かって左か上が多いが、「雅」の部首は左の「隹(ふるとり)」になるらしい。
隹(ふるとり):「鳥(とりへん)」「酉(ひよみのとり)」と区別する名。 「舊(旧)」の字の中にあるところからいう。尾の短い鳥、小鳥。
舊:艸と隹で「頭髪の多い鳥」、臼は「木の穴」、つまり「みみずく」「ふくろう」。「きゅう」という音が「久」と近く、「ひさしい」という意味合いから「古い」を意味するようになった。
雀、隼、雉、孔雀、鶴(寉)、雛、雁など、確かに隹が入った鳥にまつわる漢字は多い。小鳥はさえずる、歌う。
ミソサザイのさえずり
— 藤🎧Fuji (@hujimari) 2024年10月1日
おそらく史上最高の癒し効果を秘めています。
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聞いてると、何もかも浄められる気がする🐦🌳また「隹」には、占いの意味もあるらしい。
隹はおそらく鳥占(とりうら)に用い、軍の進退なども鳥占によって決することがあったのであろう。祝詞の器(さい)の前で鳥占をするのは唯、神の承認することをいう。
鳥占:卜占の一つ。鳥の鳴き声、止まった枝の方向、飛ぶ方角などで吉凶を占った。
歌と占い、私の人生の中心で、長くやってきたこと2つなので、びっくりした。確かに呪いである。呪いというとどこか閉塞的なので、どうせなら祝福、祝い、言祝、魔法と思うことにする。因縁でなく良縁と。生まれた時にそう祝福されたのなら、むしろもうしょうがない。そう思うと、下手の横好きであっても、心おきなく続けられる気がする。
どうでもいいけど、私は髪の毛がとても多く、乾かす時間が嫌というだけでツーブロックにしていた。
ここまでは部首の「隹」、次は「雅」自体。左が牙だが、これは形象や意味ではなく音を表すらしい。
雅:みやまがらすの意を表す。借りて「みやびやか」の意に用いる。
みやま=深山。つまり山に籠ってる。かなりの出不精で、ここ数年は家から出なくていい仕事をしていて、ここでも当てられてる気がする。
烏:
・古来、カラスは吉兆を示す鳥であった。「太陽の使い」や「神の使い」といわれる。
・ギリシア神話では、太陽神アポロンに仕えていた。
・古代エジプトでは「太陽の鳥」とされていた。
・中国では古来、太陽にはカラス、月にはウサギが棲むとされ、それぞれの象徴となった。
また、雅典と書いてアテネと読むらしく、古代哲学→占星術とも。ギリシャ神話のアテナはパラスとも呼ばれ、私はアスペクトランキングの1位がASCとパラスの150度だったりする。牡羊座なので太陽は高揚の座、ドワットの図だと太陽の管轄である獅子座にASCと冥王星がある。まあここまで来ると、知らない人は何のことやらだけど。
名前の占いというと画数が有名だけれど、響きや字面の方が影響が大きいように思う。名前を呼ばれるとは、その呪文(まじない)を繰り返されるということだし、文字として見る時は、その形の印象や意味がその度に伝わってくる。それらに比べると、画数を数える機会は日常的にはずっと少ないはず。
漢字だと、やはり古代中国における象徴や意味が強まるのだろうか。最近は漢字も実は日本が作った説もあったりもして、もう何が何やらだけど。それは置いといても、形象や音のつながりから、自分の名前に込められたその「祝福」の内容が見えてくるのではないだろうか。子どもの時には好きではなかった名前が、何だかとてもいい名前、いいまじないのように思えてくる。
蛇足で、私の父の名前に「雄」が付いていて、ここでも隹があるのだけれど、父は音痴だった。けど、歌は好きみたいで風呂場でよく歌っていた(╹◡╹)