Astro Japonica

楽しい 占星術ノート

8. Hand in glove - The Smiths

★2024.6.4.追記


手をとって

手をとって
太陽が僕らの背後から輝く
いや、これはほかの
どんな愛にも似ていない
別の何かであって、だって僕らの愛だから
手をとって
僕たちはどこへも行ける
そして全ては あなたが僕の
どれだけ近くにいるかに かかってる

そしてもし 誰かに見られても
誰かから見られることになっても
ああ、そんなの知らないし、
気にもとめない

僕の影にキスして

手をとって
善良な人たちは笑う
そう、僕たちは ぼろに
隠されてるかもしれないけれど
その人たちには手に入れられない
何かが この手にはある
手をとって
太陽が僕たちの背後から輝く
そう、僕たちは ぼろに
隠されてるかもしれないけれど
その人たちには手に入れられない
何かが この手にはある

そしてもし 誰かに見られても
誰かから見られることになっても
ああ、そんなの知らないし、
気にもとめない

僕の影にキスして

そう、あなたが手をとったら
僕は権利を主張する
最後の呼吸の時まで戦うだろう
もし奴らがあなたの
髪一本にでも触れようなら
最後の呼吸の時まで戦うだろう
どこかにあるはずの 本当の人生のために
だから僕の腕の中にいて、小さな魅力的なひと

でも僕は 自分の運命をよく知ってる
そう、僕は自分の運命をよく知ってる
いつか おそらく
あなたにはもう 会えなくなる
おそらく もう二度と
あなたと会えなくなってしまう
おそらく もう二度と
あなたと会えなくなってしまう

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Hand in glove
The sun shines out of our behinds
No, it's not like any other love
This one is different, because it's us
Hand in glove
We can go wherever we please
And everything depends upon
How near you stand to me

And if the people stare
Then the people stare
Oh, I really don't know and I really don't care

Kiss my shades

Hand in glove
The good people laugh
Yes, we may be hidden by rags
But we've something they'll never have
Hand in glove
The sun shines out of our behinds
Yes, we may be hidden by rags
But we've something they'll never have

And if the people stare
Then the people stare
Oh, I really don't know and I really don't care

Kiss my shades

So, hand in glove I stake my claim
I'll fight to the last breath
If they dare touch a hair on your head
I'll fight to the last breath
For the good life is out there somewhere
So stay on my arm, you little charmer
But I know my luck too well
Yes, I know my luck too well
And I'll probably never see you again
I'll probably never see you again
I'll probably never see you again



🤝

この曲はデビューシングル。アルバムの中では7. Still Illからの宣言が続いているかのようで、これも宣告めいている。7. Still Illは個人が社会にどう対峙するか、この8.Hand in gloveではその共犯関係を。高らかな宣言であると同時に、宿命的な予言の歌となった。ザ・スミスは数年で解散し、モリとマーが再び共作する(=手を組む)ことはなかった。アルバムの中の1曲でちらっとそんなことも書いてた、とかではなく、いきなりデビュー曲で正面切って歌い上げてるのがすごい。思ってもいうなよ、みたいな。さすが数秘33、太陽冥王星90度の人である。まるで逆祝詞のよう。けれど、その宿命の荒波のさ中に、凛と浮かぶ言葉がきれいだなとも思う。

ザ・スミスは「ゲイバンド」として立ち上げられたらしく、友人にロック好きなゲイが多かったのもその理由だった。このデビューシングルのジャケットは、うつむいた裸の男性の後ろ姿で、あたかもこの世ではじかれたセクシャリティそのものを表すかのよう。歌詞の中で「じろじろ見られたとしても」と繰り返されるのは、歌われているのがゲイのカップルだから。

この1stの中で、"glove"が今のところ3回出てくる。4. Pretty Girls Make Gravesの終わり2行はそのまま、この曲の始まりの2行と全く同じ。そこを糊付けみたくつなげると、女性に幻滅して男性と同盟を組んだ、とも取れてしまう。もう1ヶ所は、5. The Hand That Rocks the Cradleの「Oh, see how words as old as sin fit me like a glove(ああ見てよ、罪と同じくらいに古びた言葉が 手袋みたいに僕には合う)」。そしてその曲名にもこの曲と同じく"Hand"が入っている。wikiではこの「Hand in glove」は昔の同名の探偵小説から来ているのでは、との推測も。またモリ自身が性嫌悪という説もあるようで、もしかしたらそれで「手」を通して多くを伝えようとするのかもしれない。

2行めにあたる「The sun shines out of our behinds(太陽が僕らの背後から輝く)」が何を指すか分からないが、1stのジャケットを飾るジョー・ダレッサンドロが主演していた別の映画、『ジュ・テーム・モワ・ノン・プリュ』で度々「奇妙な」カップルの後ろから太陽の光が射していたように思う。この映画でゲイ役のジョー・ダレッサンドロは、少年のようなジェーン・バーキンを度々後ろから抱いていた。

何にせよ、この曲名にした言葉が気に入っていたのだろう。以下、占星術から見た長い解釈になってしまうが、占星術で、双子座は身体の部位の中で手・指・神経を表す。手・指は神経が多く細やかで、その指先で触れたものを脳で高次元に再現できる。また交感神経が興奮状態になると末端に血液がいかず、それで手足が冷えるらしい。

双子座には他にも、言葉・コミュニケーション・伝達などの意味もある。いわゆる文豪たちが世に出たり、生まれたりした19世紀末は、外惑星や社会天体が次々と双子座をくぐった時代でもあった。1858年6月2日に双子座に天王星が入り、木星と0度。そのあと天王星は1865年までいた。1882年には木星が、1883年には土星が、1884年冥王星が双子座へ。1887年には海王星が入り、双子座に冥王星海王星が同座する時代は1901年頃まで続く。逆行しつつ冥王星が双子座を出たのは1914年。これらは広義でいわれる19世紀末の時代とほぼ重なる。今まで言葉にされ得なかった多くのことが文字となり印字され、言葉が深く遠くまで響いた時代だった。

モリのチャートを見てて特徴的なのは、双子座1度の太陽と冥王星のタイトな90度があり、メジャーアスペクトは以上!なところ。冥王星はカルマ・宿命的で、それが太陽と90度ということは生き方(太陽)を突き破るような宿命が度々訪れる。これは例えば自分を変えてしまうほどの運命の出会いが、それなのに劇的な別れとなりやすい。

マイナーアスペクトを見ても、金星との45度は、自分の生き方にとって愛情生活(金星)が日常的ではなく、遠いところにあることを表す(金星は太陽と48度以上は離れないので、一番遠いアスペクト)。しかもこの金星は土星と180度。また土星天王星は創造的なアスペクトである144度・72度だが、土星天王星自体が「(時に極限まで)減らす」天体であるし、厳しさと緊張感があり、双子座の神経質さを余計にひどく尖らしているような。また双子座1度という強い度数だが、風星座には他に天体がなく、火星座も天王星のみで、孤立した場所にいる。ザ・スミスが結成された1982年辺りは、天秤座に火星・土星冥王星があり、重い天体とはいえそれらが軒並み太陽と120度。天涯孤独な配置であるこの双子座の太陽を大いに加勢していた。さらに木星回帰(蠍座)の時でもあったので、世代天体がかなり味方になっていた時といっていいだろう。ちなみに敬愛するオスカー・ワイルドは天秤座に太陽・金星、ジェームス・ディーンは水瓶座に太陽がある。風の太陽に固定宮の月というのも一致していて、ディーンの方は孤立した風の太陽と、月蠍座というところも同じだったり。

「Hand in glove」自体は直訳すると「ぐるになって」という意味だが、「glove=手袋」というと、例えば双子の次にくる蟹座の流れを思わせる。蟹座は「家族(身内)」さえいればそれでいい、というような星座。鋭敏な感受性のため内気で時に排他的だが、身内には優しく面倒見がいい。ここにモリは金星・火星がある。彷徨い徘徊して神経的な興奮に憑かれて、より神経過敏になって冷えた手を包む温かな何か。インタビューでいっていた、「バンドのメンバーしか友達はいない」「バンドは家族のようなもの」、そして「私は一夫一妻主義だが、ジョニーは一夫多妻主義だったのだ」。詩は利き手で書くとして、誰かと手をつなぐ手はもう片方のあと一つだけ。そういう気持ちだったのかもしれない。

そう考えると、自伝でバンド解散後にリズム隊が起こした裁判について、永遠に続くかのように書き散らしているところなど、なんだか微笑ましいと思ってしまう。もし、ただ人心掌握に長けた内部政治犯だったとしたら、あんなに生々しい怒りは続かないと思うから。

(にしても、今日も長いな!)